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用語解説 戦 後 A密貿易


 密貿易とは、正式な手続きを執らずに行われる貿易のことをいいますが、特に沖縄の場合、1945年から52年頃までの戦後の混乱期に沖縄本島を中心に大胆に展開された密貿易のことをいいます。

 戦後の密貿易は沖縄戦で衣食住のすべてを失った住民の間で自然発生的に始まりました。最初の密貿易は戦後台湾からの引揚船によってもたらされました。船には台湾引揚者と共に生活物資が満載されていました。台湾から運ばれた物資は高値で取り引きされました。やがて、それが密貿易に変わっていきました。

 沖縄からは、戦場に散乱する砲弾や薬きょう、米軍の銃火器、配給物資、「戦果」と呼ばれた米軍の抜き取り物資が積み出され、台湾・香港・本土からは衣食住に関するあらゆる物資が入ってきました。密貿易はたちまち盛んになり、三大ルートが確立されました。

 一つは日本最西端に位置する与那国島などを中継地とした台湾ルートです。戦前まで日本の植民地であった台湾と国境を接する与那国島は密貿易の拠点となりました。与那国島の久部良には、にわかの倉庫や担ぎ屋の小屋が建ち並び、香港、台湾をはじめ石垣島、宮古島、沖縄本島からの密貿易人や担ぎ屋が集り、島はこれまでにない賑わいをみせました。 

 二つ目は与那国、沖縄本島各地、宮古などを中継地にした香港ルートです。第二次世界大戦後の中国で内戦が激しくなり、香港・マカオの商人が台湾へ軍需物資用の非鉄金属を買いに来ました。大量の非鉄金属(薬きょう)を持っている沖縄商人と香港・マカオの商人が台湾で出会い香港ルートができました。

 三つ目が鹿児島県口之島などを中継地とした本土ルートです。沖縄出身者の本土引き揚げが始まると、本土ルートができていきました。1946年1月、米軍は口之島の北端北緯30度以南を日本本土から切り離しました。台湾・香港ルートに衰退の兆しが見え始めた頃、口之島は本土との密貿易の中継地と化していきました。

 密貿易で荒稼ぎをする者は「カマス(麻袋)に札束を入れて持ち運びしている」「ドラム缶に札束が入っている」という状態でした。しかし、一攫千金の夢を見て海に出かけたまま帰らぬ人となった者もいました。密貿易人のなかには男性のみならず「女海賊」と呼ばれた女性たちもいました。密貿易で財産を築いた者もいました。
 戦争直後の沖縄は、極度の飢餓状態にあり、密貿易によってどれほどの人々が救われたか計り知れません。

*『沖縄を知る事典』(日外アソシエーツ株式会社発行)に掲載した原稿を加筆・修正した。宇根悦子
【参考文献】
『空白の社会史―戦果と密貿易の時代沖縄の民衆生活』石原昌家著(晩聲社)

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