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年 表
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普天間基地返還問題
1995.9.4 米兵による暴行事件発生
1995.10.21 米軍人による暴行事件を糾弾、県民総決起大会開催、
8万4千人結集
1995.11.17 沖縄に関する
特別行動委員会(SACO)
設置
,
閣議決定される
1996.4.12 橋本首相とモンデール駐日米国大使が
普天間飛行場を5年か
ら
7年以内に返還
すると発表
1996.4.14
移設条件付
であることが判明
1996.7.10 名護市で海上基地反対市民大会
1996.7.16 沖縄県議会、県内移設に反対する決議(全会一致)
1996.9.8 県民投票(基地の縮小賛成 89%)
1996.9.17 橋本首相来県、講演で海上基地建設検討を表明
1996.11.18 名護市議会 キャンプ・シュワブ水域への移設に反対決議
(全会一致)
1996.12.2 SACO最終報告に
本島東海岸沖への海上基地建設
が明記
1997.6.6 名護市民投票推進協結成。7月から署名活動開始
1997.8.23 橋本首相来県、講演で「
普天間返還は海上基地建設が前提
」
と明言
1997.10.2 名護市議会、市民投票条例案を修正可決
1997.11.5 久間防衛庁長官来県、名護市と県に海上基地基本案を提示
1997.12.21
ヘリ基地建設の是非を問う名護市民投票
(反対:
16,254票、賛成:14,269票)
で反対が賛成を約2300票上回る
1997.12.24
比嘉名護市長が橋本首相に海上基地受入を伝え、辞職
1998.2.6 大田知事、海上基地受入れ拒否を表明
1998.2.8
名護市長選
で移設容認派が推進する
岸本建男氏が当選
1998.5.15 普天間飛行場の県外移設など要請で大田知事訪米
1998.11.15
知事選で県内移設容認
(
15年使用期限付
軍民共用)
の
稲嶺恵一氏
が大田昌秀氏を破り初当選
1999.4.29 小渕首相、G8サミット沖縄開催を発表
1999.6.25 クリントン「基地問題が未解決な状態で沖縄に行きたくない」
1999.9.24 名護市辺野古区行政委員会、陸上・埋め立て案反対決議
1999.9.27 「普天間基地・那覇軍港の県内移設に反対する県民会議」
結成
1999.9.27 名護市議会「北部地域への新空港早期建設に関する要請決議」
否決
1999.10.15 沖縄県議会「普天間飛行場の早期県内移設に関する要請決議」
可決
1999.10.23 普天間県内移設反対署名運動はじまる
1999.10.23 普天間飛行場・那覇港の県内移設反対県民大会開催
1999.11.1 米国防総省報告書:運用年数40年、耐用年数200年
1999.11.12 「普天間」岩国移設も、と米議会調査局報告書
1999.11.22
稲嶺知事、移設先は名護市の辺野古沿岸沖(キャンプ・
シュワブ水域内)と発表
1999.11.25 稲嶺知事候補地決定を政府へ伝え、15年使用期限を要請
1999.12.19 沖縄タイムス・朝日新聞 合同世論調査
名護市民、「普天間」移設反対59%、賛成23%
1999.12.21 日米両政府による基地の押しつけ反対県民大会
1999.12.23 名護市議会、移設促進決議
1999.12.27
「普天間」で岸本名護市長、条件付き受け入れ表明
ヘリ基地反対協 岸本名護市長のリコール運動開始宣言
1999.12.28 代替施設を「キャンプ・シュワブ水域内名護市辺野古沿岸域」
と閣議決定
1999.12.27
岸本名護市長が移設受入を表明
1999.12.28
移設先は辺野古沿岸域と閣議決定
2000.7.21
名護市で名護サミット開催
2000.8.25
代替施設協議会が発足
2000.10.11
国際自然保護連合会(IUCN)が辺野古一帯海域を中心に
生息するジュゴン保護を決議
2000.11.6 防衛施設庁がジュゴンの潜水調査開始
2001.3.6 政府のジュゴン予備調査、東海岸で5頭、西海岸で1頭確認
2001.3.10 辺野古海岸で米軍ヘリの騒音測定試験飛行
2001.6.8 第7回代替協政府が普天間代替施設で3工法8案を提示
2001.11.21 辺野古行政委に牧野、比嘉両副知事が「リーフ外は困難」と
説明
2001.12.27
第8回代替協で建設位置「リーフ上」で合意
2002.2.3 名護市長選で
岸本氏が再選
2002.6.11 下地衆議院議員が嘉手納基地統合を提言
2002.7.4 麻生政調会長、嘉手納統合案を評価
2002.7.29 第9回代替協。リーフ埋め立て
軍民共用空港建設の基本
計画に合意。
滑走路2000メートル、工期9.5年、総工費3,300億円
2002.9.27 稲嶺知事が県議会で
15年使用期限の解決なくして着工は
ない
との立場を表明
2002.11.17 県知事選で
稲嶺氏が大差で再選
2003.1.28 第1回代替施設建設協議会発足。15年使用期限は正式議題に
ならず。環境相はジュゴン保護の意見提出を表明
2003.1.30 環境影響評価(アセスメント)の作業開始。方法書作成へ
2003.4.8 政府が辺野古沖で現地技術調査を開始
2003.11.16 ラムズフェルド米国防長官が来県し、普天間飛行場を視察
2003.11.17 那覇防衛施設局がボーリング地質調査の公共用財産使用
協議書を県に提出
2003.12.19 第2回代替施設建設協で防衛施設庁が事業主体となることを
正式に報告
2004.2.13 普天間飛行場代替施設見直しを米側が打診との報道
2004.4.7 県がボーリング地質調査の公共用財産使用協議に同意
2004.4.28 那覇防衛施設局「環境アセス」を発表
2004.8.13 米海兵隊ハワイ所属の
大型輸送ヘリ
CH53Dが沖縄国際大学
の一号館本館に接触、
墜落、炎上
した。
2004.9.9 防衛施設局、
辺野古沖でボーリング調査開始
2
004.9.12 沖縄国際大学で
宜野湾市民大会。3万人結集。
【参考文献】
『沖縄タイムス』
『琉球新報』
『普天間飛行場 名護移設問題 資料(1999)』
『海上ヘリ基地建設計画問題資料(1997年)』
『沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック』