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年 表
A沖縄戦
1879 「琉球処分」。武力を背景に日本に組み込まれる
琉球国王尚泰は東京に居を移す。約
450年続いた琉球王国解体
皇民化政索により急速に日本化する
教育勅語、各学校に配布
御真影の配布
1898 徴兵令施行(本土に遅れて)
1910.5.18 本部町で徴兵忌避事件発生
1931.9.18 満州事変(15年戦争始まる)
1937.7.7 盧溝橋事件(日中全面戦争突入)
1938 南京大虐殺
1939 各市町村に警防団
結成
1940 第1回満蒙開拓団出発
1941.4.1 3月1日交付の国民学校令により小学校は国民学校と改称
1941.8 中城湾及び船浮に臨時要塞建設着工
1941.12.8 日本軍、マレー半島上陸、真珠湾攻撃(太平洋アジア戦争始まる)
1942.1.24 沖縄県翼賛壮年団結成
1942.6.5 ミッドウエー海戦で日本軍大敗、戦局の転機に
1942.6.10 大政翼賛会全面改組、国民統制の中核機関となる
1942.9 八重山平得海軍飛行場着工 住民徴用される
1942.12.15 沖縄県食糧営団設置
1943.2.1 日本軍、ガダルカナル島撤退を開始
1943.3.17 「戦時行政権特例法」公布
1943.3.28 「改正戦時刑事特別法」施行、政府の政権に関する疑問・批判などが
処罰の対象となる
1943.6.25 政府「学徒戦時動員体制確立要綱」決定
1943.7.11 東条首相、南方方面視察の帰途沖縄訪問
1943.7.21 「国民徴用令」改正し徴用人口、労働時間の増加はかる
1943.7.30 全国女子学徒動員決定
1943
日本軍による
飛行場建設
のための農地接収開始
1943.9.30 大本営、絶対国防圏を設定
1943.10.12 政府「国内態勢強化方策発表」文科系学生の徴兵猶予撤廃
1943.11 県下各地で食糧増産完遂宣誓大会開く
1943.12 大本営絶対国防圏の強化のため南西諸島及び台湾の防備強化決定
1943.12 食糧増産報国挺身隊(1,000名)結成。国防献金恤兵献金、
飛行機献金など盛んに行われる
1943.12.1 第1回学徒出陣
1943.12.24 徴兵年齢1年引下げ実施
1944.1.1 沖縄県農業会発足
1944.2 県庁役人家族本土引揚げ始る
1944.2.4 文部省、大学高等専門学校の「軍事教育強化方針」を発表、
県当局、沖縄県分村計画実施案発表
1944.2.25 政府「決戦非常措置要綱」決定
1944
3.22 沖縄守備軍第32軍創設(
大本営直属)
大本営、台湾及び南西諸島防衛のため「第10号作戦準備」下令
1944.4.1 第32軍統帥発動「第10号作戦準備」開始
1944.5.3 独立混成第44、第45、旅団が第32軍に編集される
沖縄本島、南東中飛行場のほか、伊江島飛行場、宮古飛行場
の建設が始る
。各飛行場の労務徴用は連日2〜3,000名に及び、
労若男女の別なく、小学生にいたるまで徴用され一日中数時間に
及んだ
1944.5.10 第32軍大本営直轄を離れ皇土防衛軍(西部軍)直轄となる
1944.6 八重山諸島で非戦闘員の台湾疎開開始
1944.6.15 八重山白保陸軍飛行場の建設着工
1944.6.30 第32軍に第28師団編入
1944.7.1 長勇参謀長着任
1944.7.7 サイパン島陥落(守備隊、住民合わせて4万人玉砕)
1944.7.7 緊急閣議により南西諸島の老幼婦女子、学童の集団疎開決定される
1944.7.18 第32軍に第24師団編入
1944.7.20 独立混成第64師団編入
1944.7.24 第62師団、独立混成第59、第60、第64旅団編入
1944.8.1 牛島満司令官着任
1944.8.12 敵沖縄上陸を想定し兵棋演習実施
1944.8
.22 学童疎開船対馬丸沈没
(学童700人を含む1,500人死亡)
1944.8.31 「学徒勤労令」「女子挺身勤労会」が実施される
1944.10.3 米統合参謀本部、南西諸島攻略作戦(アイスバーグ作戦)策定
1944.
10.10 十十空襲
。県都那覇市90%焼失(市民約5万人焼け出される)
32軍司令部、首里の男子師範学校へ移動
1944.10.18 全国満17歳以上の男子を兵役に編入
1944.
10.29 第一次防衛召集
(
21歳〜45歳までの男子)
1944.11 第32軍、「軍官民共生共死の一体化」を打ち出す
1944.11.17 第32軍、大本営の指示により第9師団の台湾転出を決定
1944.11.下 那覇市役所本部を牧志クラブ、壺屋に移転、翌2月まで執務
1944.12.1 非常食糧整備週間始る
1944.12.9 32軍首里司令部壕の建設に着工。第二野戦築城隊が担当
1945.1.3 米機動部隊、奄美、宮古、八重山、沖縄本島を攻撃
1945.1.中 県人口課を創設
1945.1.10 32軍司令部首里へ移転
1945.1.12 大阪府内政部長の島田叡、沖縄県知事に任命される(31日着任)
1945.1.12 米艦載機延約900機、奄美、宮古、八重山、沖縄本島を攻撃する
1945.1.20 「沖縄県防衛強化実施要綱」閣議決定
1945.1〜 中・南部住民、九州及び本島内北部へ疎開
1945.1.31 第二次防衛召集(
17歳〜
45歳)
1945.2.3 大本営 第32軍に新任務付与、
県下(学)と動員強化、通信、観測、看護婦等の特別訓練実施される
1945.2.7 参謀長長勇6ヶ月分の住民食糧緊急確保を知事に要請
県、平時行政から戦時行政へ切り替える
1945.2.
9 県庁10万人を国頭へ疎開
1945.2.15 第32軍「戦闘指針」を県下軍民に示達。
標語「一機一艦、一人殺殺」公示
全県下に市町村単位の国土防衛義郵袋編成始る
1945.2.19 県下の男女中学校単位の防衛隊結成始る
1945.3.1 県立第二中学校生徒の一部が7071宇土部隊へ入隊
1945.3.5 学童、一般老幼婦女子の県外疎開打切り
1945.3.6 「国民勤労動員令」公布、
県民の満15歳〜45歳までの男女全員現地招集される
1945.3.10 第32軍司令官、伊江島飛行場の破壊を命じる
1945.3.14 文部省、4月1日〜1年間全国の学校授業の停止決定
1945.3.17 硫黄島玉砕(日本軍2万3000名)
1945.3.20 大本営「当面の作戦計画大綱」発令 沖縄作戦に重点をおくことを決定
1945
.
3
.23 米軍沖縄本島空襲開始
1945.3.
24 米軍艦砲射撃開始
。
県立二高女看護隊として山3486部隊へ動員
1945.3.25 県立一高女、国立女子師範部、看護隊沖縄陸軍病院へ動員
1945.3.
26 米軍阿嘉島、慶留間島、座間味島に上陸
、座間味島で集団死発生
英艦隊先島を砲撃
県立三高女看護隊として北部各隊へ動員
1945.3.27 米軍渡嘉敷島に上陸。集団死発生
県立水産学校の職員、生徒22人、第32軍通信隊に配属される
県立首里高等女学校生看護隊として石5325部隊に配属
神風特攻隊、慶良間諸島周辺の米艦を攻撃
1945.3.28 市立昭和高女83名看護隊として第62師団へ配属
県立一中生、通信隊として球18830部隊に配属
1945.3.30 運天港の日本軍魚雷艇基地、米軍機200機の攻撃を受け壊滅
1945.3.31 沖縄師範学校の職員・学生、鉄血勤皇師範隊として防衛招集
第
32軍司令部壕勤皇隊本部(16人)、千早隊(22人)、
斬込隊(57人)特別編成中隊(48人)、第二野戦築城隊(243人)
計
386人
積徳高女看護隊として山3486部隊に配属
那覇市立商業生、独立歩兵第22大隊に配属
1945.4
.1 米軍沖縄本島北谷〜読谷に上陸
。北・中飛行場を占拠。南北へ進攻
米軍ニミッツ布告公布(日付明記無)、占領行政を開始
県立水産学校生通信隊として32軍情報部通信隊に配属
1945.4.2 米軍北飛行場の使用開始
1945.4.3 米軍東海岸到達
県立水産学校の27人恩納村にある北部守備隊に配属
1945.4.5 米軍、名護の世富慶に上陸
1945.4.6 海上特攻隊(戦艦大和以下5隻)、沖縄救援のため山口県徳山を出港
神風特攻隊による第一次航空総攻撃(菊水一号作戦)開始
米軍、勝連半島を制圧
1945.4.7 海上特攻隊壊滅(戦艦大和以下)
米軍、名護に進攻。今帰仁村湧川に上陸
1945.4.8
嘉数高地激戦
1945.4.10 米軍、津堅島上陸
1945.4.12 第二次航空総攻撃(菊水2号作戦)
1945.4.15 石垣島守備軍、米兵捕虜3人を処刑(石垣島事件)
北部守備軍宇土部隊は八重岳を放棄、羽地山へ後退
1945.4.16 米軍伊江島上陸、21日占領。第三次航空総攻撃(菊水三号作戦)
1945.4.18 米軍、本部半島全域を制圧
米、従軍記者アーニーパイル、伊江島で戦死
米軍、伊江島飛行場の使用開始
1945.4.19 与那原、米ナパーム弾の攻撃を受けて焼失
1945.4.20 首里城焼失
1945.4.21 日本軍、嘉数高地撤退
米艦、南北大東島を攻撃
1945.4.25
県庁,楚辺の壕から繁多川警察部の壕へ移動
1945.4.27
沖縄未占領地域南部市町村長、警察署長会議開く
「沖縄県後方支援挺身隊」編成
。
那覇市長に兼島助役を任命(前市長不在のため)
1945.5.4 32軍、米軍に反撃、失敗。第五次航空総攻撃(菊水5号作戦)
1945.5.7 米軍占領下の石川で初の学校、城前初等学校開校
1945.5.8
シュガーローフの激戦
1945.5.10 米軍、伊江島に出撃基地建設
1945.5..11 米軍首里防衛線突破の総攻撃開始
1945.5.18 伊江島村民、米軍により慶良間諸島列島の渡嘉敷と慶留間島へ
強制移住させられる。渡嘉敷島(700人)、慶留間島(400人)
1945.5.22
32軍首里を放棄、南部撤退を決定
1945.5.24 義烈空挺隊120名が北・中飛行場へ強行着陸。
27日まで攻撃、全員玉砕
県庁、繁多川壕から東風平志多伯の重砲部隊へ移動
1945.5.25 島田知事、荒井警察部長、識名の壕から南部へ撤退
1945.5.27
32軍摩文仁へ向けて撤退開始
1945.5.31 米軍、首里占領
1945.6.2 石垣島、軍命で非戦闘員が山に避難
1945.6.4 第32軍司令部、摩文仁に撤退完了
米軍、小禄へ進攻。伊平屋島を占領
1945.6.6 米軍小禄飛行場占領。海軍大田実少将、海軍次官宛に訣別電報打電
1945.6.9 島田知事、警察警備隊の解散を命ずる
米軍、粟国島占領
1945.6.10 米軍司令官バックナー中将、牛島司令官に降伏勧告(書簡投下)
1945.6.12 米軍、日本軍への降伏勧告ビラ3万枚を撒布
1945.6.13 大田司令官、幕僚等と海軍司令部壕内で自決
1945.6.18
学徒隊解散命令
。牛島司令官参謀本部、台湾方面軍に訣別電報打電
〃 米軍バックナー中将戦死
島田知事,荒井警察本部長と摩文仁の司令部壕に入った後消息を絶つ
1945.6.19
牛島満最後の戦闘命令
「最後まで勇戦敢闘し・・・」
伊原第三外科壕に米軍ガス弾投下(催涙ガスか?)
1945.6.23
司令官牛島満、参謀長長勇自決
(米軍記録22日)
「義勇兵法」発布
1945.6.26 米軍、久米島上陸
1945.6.29 久米島の海軍守備隊、住民をスパイ容疑で虐殺
1945.7.2 米軍、沖縄作戦終了宣言
1945.7.3 石垣島の台湾疎開船、尖閣諸島付近で米軍機の攻撃を受け沈没
1945.7.26 米軍政府により「うるま新報社」創立
1945.8.14 御前会議でポツダム宣言受諾を決定
1945.8.15 戦争終結の詔書を放送、日本無条件降伏
沖縄諮詢会結成について協議(石川)
1945.8.29 第1回諮詢会、委員長に志喜屋孝信氏選出
1945.9.7 南西諸島の日本軍が降伏調印
【参考文献】